きもの千歳屋について

明治43年11月28日(1910)祖父内海園吉が目黒区大橋に「千歳屋呉服店」を創業。生地祖師谷が昔千歳村と呼ばれていた所から名付けました。当時はまだ小田急線が開通しておらず、玉川路面電車の大橋駅の前に、店を構えました。その後国道246号線の拡幅工事に伴い、いち早くビルに建替えました。本店は老朽化に伴い平成に入ってから再度大きなビルに建替えましたが、近年閉店しました。
 当店は父三男勇が独立して昭和29年(1954)祖父母の生地である現在地に「千歳屋呉服店(のちに「呉服の千歳屋」「KIMONO千歳屋」に改名)を開店しました。(写真は昭和45年頃の当店)

 当初は洋品も扱い、呉服専門店というよりも「地域の衣料品店」として営業しておりました。その後時代と共に呉服を専門に取り扱うようになりましたが、基本的には昔から「なんでも相談にのれるーまちの呉服屋」として歩んで参りました。

その後たびたび増改築をしながら、少しずつ店を広げていきました。昭和50年代頃までは、地方から住み込みの店員さんで店の2階は一杯でした。当時は6名の店員さんと父母で営業し、近所へ訪問販売もしていました。朝は9時から夜10時まで、休みは月に1日だけ。夏の盆休みと正月休みだけが、唯一の楽しみでした。日本が高度経済成長の真っ只中で、祖師谷の商店街の個人店舗が最も元気で にぎやかだった頃かもしれません。

写真は、昭和の初め頃の池尻の千歳屋のものではないかと思われる。仏壇の引き出しから出てきた。のぼりを持っているのは、私の祖父で年はまだ50代頃ではないか。新築3周年となっているが、この頃、前の世田谷通り(大山街道・今の246)沿いに軍関係の施設がたくさんあったため、道路の拡幅に合わせて店を建替えセットバックしなればならなかったそうです。3回くらい建替えたようですが、奥行きが深かったため、引っ越さなくともなんとか商売を続けられたとのこと。それでも戦争中には建物疎開ということですべて壊されて、祖師谷の祖父母の隠居所に父の兄弟や甥姪が住んでいたそうです。

祖父母は代々祖師谷、上祖師谷で農家を営む家に生まれ、大八車の行商から店を興し、父は自転車の行商から現在の店を築きました。創業当初から、今日まで一貫して”よい品をより廉く”を信条とし誠実に商いを続けさせていただいております。平成2年にそれまでの店舗を新築し、「きもの人のサポーター」としてきものについての色々なご相談を承っております。
平成21年は祖師谷店創業55周年、22年は千歳屋創業100周年を迎えました。本当にありがたいことです。おかげさまで、2020年創業110周年を迎えました。2022年従来取り扱っていたきものメンテナンス部門を「きもの悉皆」コーナーとして独立させ、一部店内改装をいたしました。インターネットを利用したり、より見やすく、入りやすい店づくりに努めていきます。